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『共に育つ〜錦江幼稚園百年〜』(1992年発刊)より

 1892年(明治25年)2月1日、錦江幼稚園の前身である明石幼稚園が創設され、100周年を迎えました。日本の最初の幼稚園が1876年(明治9年)、兵庫県では1887年(明治20年)ですから、それに次ぐ幼稚園ということになります。当時は決して幼児教育にたいして理解があったと思われません。そのような時代状況の中で、明石で最初の幼稚園が生まれたことの意義は大きいものと言えましょう。

 明石教会員の石田庄三郎、平井英三郎、山岡光太郎の三氏は、「明石の街の中では育ち盛りの子どもたちが放ったらかしにされている。これでは日本の将来は望めない。この子らはやがて日本の国を背負っていく子どもたちなのだ」と趣意書で訴え、「明石幼稚保育会」をつくり、キリスト教主義・近代幼稚園を設立されたということです。

 当時どのような保育がなされていたのか定かではありませんが、今日のように幼稚園に対する理解も少なく、また、実際に保育にあたる人も少なかった時代ですが、幸いにも神戸教会に属する人達によってつくられた頌栄保姆伝習所があり、ここの卒業生を教師として迎えたことが古い記録にあります。

 その後、1904年(明治37年)9月、明石女子師範学校内に幼稚園が設置され(現在の神戸大学付属幼稚園)、設備の大部分と保母および園児をここに託して休園することになりました。
 
 1930年(昭和5年)に、現在の地で私立錦江幼稚園として再開しましたが、第二次世界大戦中、明石大空襲によって全焼・再び休園の止むなきに至りました。
 1949年(昭和24年)4月、福井邦蔵牧師を園長として再興、現在に至っています。

 いくつかの困難な峠を越えながら、最初の設立の精神を大切に受け継ぎながら今日まで明石市における幼児教育を担ってきたことは大きな誇りであり、同時に重い責任を感じています。

 1970年代にキリスト教のあり方が厳しく問われたとき、当然、付属幼稚園もそのあり方が問われました。明石市における幼児教育の現状の中、私立幼稚園としてのあり方について再検討しました。二年にわたって討議と検討を重ね、特に 「障害」をもった子どもたちが当時ほとんどの幼稚園から排除されていた状況の中で(錦江もその例外ではなかった)、この子らを積極的に受け入れ、共に歩む幼稚園として再出発しました。

 いま、100周年を迎えて、この幼稚園の歩みは小さな歩みであったかもしれないが、その存在は大きく、また、重いと考えています。現実には明石市のような幼稚園の状況のもとで私学として存続することの困難さ(現在は二園)はあります。しかし、困難さを先行させるのではなく、子どもたちの今、そして将来をしっかりと目を据え、この子らに大きな希望を託して、私立幼稚園としての歩みを続けていきたいと強く願っています。